前半は基本的な内容、後半は整体師になった経緯やスクールを設立するまでの過程です。
(2018年5月現在)
●基本データ
(これは七五三の時の写真。隣にいるのは妹。
妹のアルバムに貼っている写真を妹が撮影したので、スマホが映り込んでいます)
身長174センチ体重61キロ。
血液型はO型?(実際に調べてはいない:両親2人ともO型)
おとめ座に最も近いてんびん座。
1964年9月生まれ。
バツイチかつマルニ(再婚)。
4歳年下の妻と結婚13年目。
家族は5歳年の離れた妹が1人。
親父は2001年、お袋は2011年に亡くなった。
妹は結婚して一人娘がいる。
妹の旦那は、2年前に亡くなった。
●人柄
職場の先輩や同僚に「渋谷さんって優しいよね」とよく言われていました。
(本当です)
年齢を言うと「え!もっと上だと思っていた」とも。
(人柄じゃなくて見た目?)
●モットー
ハートに従い、フロー(流れ)に乗る。
●プライベート
時々ベランダにいるハーブや和草(どくだみやゆきのしたなど)の面倒をみる。
仕事が空いた時は、食事を作る(料理は結構得意?と思っています)
●好きな言葉
一番軽いものが、一番遠くまで飛ぶ
人間万事塞翁が馬
●性格
人見知りしません
(メチャクチャ社交的ではない)
外国籍の人と抵抗なくコミュニケーションできる
(話はあまり通じないけど、会話に不自由はしない)
我慢強い
(マゾっぽくはない)
マイペース
(グループ行動は苦手)
カラっと明るい・頼まれ上手の断り下手
細かいところに気がつく
●長所
好奇心旺盛・施術中の手はポカポカ温かい
●短所
いろんなところに頭を突っ込み、時々抜けなくなります(笑)
少々飽きっぽい・・・。
●好きなこと
サポートすること・健康づくりに関すること・家庭料理
●趣味
ペンギングッズ収集
(JR東日本SUICAマスコットペンギンが大のお気に入り)
和柄の手ぬぐい収集
スポーツ観戦
(プロ野球とかテニスとか)
●読書
子どもの時から「本の虫」でした。
新聞折り込み広告を指差して「この字何て読むの?」と両親に聞いていたそうです。
立ち読み専門の本屋が数件あって、ほぼ毎日通っていました。
マンガをむさぼり読んでいましたね~。
高校生の頃、少女マンガに熱中して、好きな作家の単行本をすべて買い集めた事もあります。
好きな漫画家は清原なつの、坂田靖子、吉野朔美、山田章博、内田善美等々。
マンガの他は、東洋医学や代替医療関係、ヒーリング全般を「広く深く」読む。
マーケティングやブランディング関連の本も大好き。
(昔、中小企業診断士の資格を取るため学んでいたことも)
●不思議大好き
マンガ少年の一方で「不思議大好き少年」でもありました。
ユリゲラー直撃世代です。
スプーンは曲がりませんでしたが、小学校の運動場で私しか見えないUFO?を発見した事も。
「月刊ムー」「たま」「フィリ」は定期購読していました。
●占い
子どもの頃から占い好きです。
鑑定もしています。
身体だけでなく、運命や運勢を読み解くのも好きなんです。
干支九星術
(故望月治先生の直弟子、林慶仁先生に学ぶ)
周易
(故横井伯典先生の直弟子、羽田一彦先生に学ぶ)
●初恋
初恋は、小学校4年生の時。
担任の女教師で、名前は武田先生。
憧れてましたね・・・。
●スポーツやボディワーク、古武術歴等
小学生の時、スポーツ少年団で器械体操を始めたが、小学校卒業で退部。
中学校に入学して、サッカー部に入った。
左ウイングのポジションをすすめられたけど、利き足が右足なのでセンタリングが上がらない(練習したけど)
右ひざを痛めて約半年で退部。
高校に入学して、バドミントンを1年間。
(ダブルスで県大会2部優勝)
大学以降は硬式テニスを自己流の見よう見まねで。
テニスのアイドルはビヨン・ボルグとイワン・レンドル。
昔はマッケンローのデリケートなタッチよりも、問答無用のフォアハンドが好きでした。
今なら、マッケンローかな・・。
でもあれはマネできないね。
バックハンドは両手打ちだったけど、片手打ちの方が得意だった。
社会人になってから太極拳簡化二十四式を学び、さらに関西気功協会で気功を学ぶ。
太極気功が気に入っています。
西アフリカガーナのアーティスト、アジャ・アディからアフリカンドラムを学びました。
彼に「踊れないと叩けない」と、ジャングルビートを身体に染込ませる。
関口流柔術や肥前春日流などいくつかの古武術をかじるが、足首の故障で休止。
いつか古武術の学びを再開したい・・・。
実は、フェルデンクライス・メソッドも勉強していました。
故安井武先生の講習会に通っていたこともあります。
FIは受けたことないけど、ATMはセルフケアとしてもいいですよ。
●好きな食べ物
鮪の寿司(赤身)(子どもの頃、鮪の鮨だけで34艦食べて父にあきれられたことも)
麺類(うどんや蕎麦、パスタ類好きです。作るのも得意?)
●音楽
マンガと違い、音楽はバカにしていました。
「どうしてこんなのわざわざ聴かなければならない?」と思ってました。
そんな時、親戚の家でさだまさしさんの「私家集」を聴き、完全ノックアウト。
古き良き「昭和」を感じさせる歌詞と、ストリングスの響きにシビれました。
その後は、歌謡曲を真剣に聴くように。
沢田研二さんや郷ひろみさん、初期の中森明菜さんとか。
高校生になって、イエローマジックオーケストラ(YMO)にハマりました。
ライブに初めて言ったのはYMOでした。
「YMO直撃世代」というのは自慢のうちの一つです。
社会人になってからは、ディーヴァと呼ばれる女性ボーカルを聴くように。
あっイエローモンキーもあったな。
結構好きなんですよ。
カラオケではよく歌いました。
今も、実は歌っています。
好きな曲は「熱帯夜」「ROCK STAR」「赤裸々Go!Go!Go!」です。
●好きなヴォーカリスト
セリーヌ・ディオン、サラ・ブライトマン、井上陽水、吉井和哉
基本的に、怪しげな「行ったまま帰ってこない」雰囲気を感じさせるヴォーカルが好きです。
●好きな女優・モデル
メグ・ライアン、ヘレン・ハント、夏目雅子、山口小夜子
メグ・ライアン出演の映画で印象深いのは、トム・ハンクスの競演"Sleepless in Seattle"(邦題:めぐり逢えたら)。
横浜市を休職中に、ほぼ毎日レンタルして観ていました。
毎回同じところで涙を流して・・・懐かしいですネ。
●好きな色
チョコレートブラウン、オレンジ、シルバー、ゴールド(ヒカリモノ、結構好きです)
●好きな飲み物
ほうじ茶、妻特製のハーブティ。
京都の炒り番茶も結構好き。
1年中ホットで飲みます。
コーヒーは一滴も飲めません。
紅茶はかなり好きです。
好きなブレンドは、イングリッシュ・ブレックファースト。
ミルクも砂糖も入れません。
アルコールは、昔はザルでしたが、今は一滴も飲みません。
●好きな場所
明治神宮(明治神宮オタクです)
●経歴
兵庫県尼崎市南塚口町出身。
尼崎市立名和小学校、尼崎市立大成中学校、兵庫県立尼崎稲園高等学校卒業後、1年自宅浪人浪人して、関西大学文学部英文学科入学。
大学卒業して、某独立系ソフトウェア会社に入社。
コンピュータープログラマーとして東京田町にある某航空会社の顧客管理システムの補助を担当。
言語はIBM系のアセンブラ。
激務のため、というより仕事が全く分からず、50キロまで痩せてしまう。
月に残業は一番多くて40時間程度。
1日おきに徹夜している同僚もいたのに。
プログラムはホント、チンプンカンプンでした・・・。
当時の写真を見ると、ゲッソリほほがこけた「骨皮筋右衛門」。
ズボンがブカブカになり、サスペンダーで吊っていました。
1年後退職。
退職後、地元に戻って施工販売の営業職に就職した後、10か月後に退職。
退職した年の4月に、栄養士養成の専門学校、大阪市立環境科学研究所附設栄養専門学校に入学。
2年後、栄養士の資格を取る。
専門学校卒業後、横浜市役所に栄養士として採用される。
その後10年間、小児専用病院ー老人保健施設ー保健所ー病院に勤務。
栄養士になって2年後、国家資格の管理栄養士資格を取得。
体調を崩して横浜市役所を3月に退職。
退職した年の4月に、大阪府教育委員会に採用される。
某小学校の給食管理を担当。
栄養教諭の資格取得。
体調回復のため、代替医療による治療を受ける。
そして、整体と出会う。
整体師になるための勉強を始め、プロになろうと決意。
お袋が急に亡くなり「後悔しない人生を送ろう」と大阪府を退職。
横浜に戻り、整体院を開業。
経営が軌道に乗り、プロ整体師を養成しようと決意。
横浜整体師養成スクール渋塾を開校。
●家族
親父は島根県の益田市出身。
柔道で、オリンピック強化選手の最終選考に残った(らしい)
高校卒業後、陸上自衛隊や松下電器の技術職等、いくつかの職業を経てトラック運転手に。
私が小学校2年生の時、腎臓を患い、1年半長期入院。
その後に人工透析を開始、亡くなるまで約20年続けた。
透析中にくも膜下出血発症して、集中治療室に。
19日後の2001年11月25日に死亡。
享年64歳。
お袋は、兵庫県の丹波笹山出身。
高校生の時、陸上の中距離で当時の大会記録を出した(らしい)
高校卒業後、デパガ(デパート店員)で働いていた時、親父と出会って結婚。
病に倒れた父と息子と娘を支えつつ、事務員として勤務。
2011年10月28日、原因不明の突発性心停止により死亡。
享年74歳。
妹は、本当は2人いたかもしれません。
最初に生まれた妹、由紀子は、生まれて半年で亡くなりました。
5歳離れた現在の妹は、高校卒業後某デパートの事務員として働く。
3年前に夫を胃ガンで亡くす。
現在は薬局の医療事務パートで働きつつ、一人娘と暮らしています。
現在の妻は、東京八王子生まれ八王子育ち。
現役薬剤師。
アロマテラピーの認定セラピストであり、現在はメディカルハーバリストとして活躍。
メディカルハーブ教室「薬草魔女の会」主催。
ブッシュフラワーエッセンスの認定アドバンストプラクティショナー(日本で3人目)
妻とのなれそめは、妻と共通の知り合いである
ヒーラーさんから紹介されたんです。
当時の私は、体調回復のため、漢方薬やイメージワークなど
様々な代替医療を調べていました。
中国武術の専門誌に「馬貴派八卦掌(ばきははっけしょう)の健康増進効果に対する記事を発見。
馬貴派八卦掌を行うと全身の気の流れが良くなり、体調回復に役立つ、と書いてあったんです。
ちょうどその年、夏に都内でセミナーが開催されることを知り、上京する事にしました。
上京が決まって、都内在住の知り合いのヒーラーさんに連絡しました。
「今度そっちに行くから、一緒にご飯食べましょうよ」
ところが、上京する前日に、ヒーラーさんから連絡がありました。
「私、明日都合悪くなったから行けないわ。知り合いの女性を紹介するね」と。
それが、今の妻です。
妻と知り合って、入籍するまでに会ったのは2回。
遠距離恋愛だったので、毎月の電話代は軽く4万円を超えていました。
●就職後
高校生の時、ユングに影響を受けて心理学者になろうと思ったこともあります。
一年間自宅学習をして入学した大学では「得意だから」という理由で英文科に入学。
英語の先生になる気はサラサラありませんでしたが。
最初に仕事を意識した時は、おもちゃ会社の社長になろうと思ってました。
それから小説家になろうか、心理学者になろうかと思ってました。
大学生の時、能力開発関係のコンサルタントになろうと思っていました。
クライアントの問題解決がしたかったのです。
生意気ですが「人々を導きたい」と思っていました。
結局「これからはコンピューターぐらい触れないと」と、プログラマーになりました。
ところが、体調を崩して退職。
退職を説明するため自宅に戻ると、親父に速攻で往復ビンタをくらいました。
(玄関先で・・・)
「男なら、一度決めたことは死んでもやれ!」
いや~、まだ死にたくなかったので・・・。
後になって、親父が高卒で就職して転職を繰り返したことを知りました。
親父は自分が転職して苦労したから、私にも安易に転職して欲しくなかったんでしょう。
プログラマーを辞めてから「天職」について考えるようになりました。
私が本当にやりたい仕事・やるべき事は何だろう?と。
プログラマーを辞めて、お袋のコネで営業職として転職。
入社3日目から、長崎の現場に長期出張していた時のこと。
職場と宿舎の往復、慣れない車の運転と職場の人間関係に参っていました。
無意味な、ただ時間をつぶしているだけのような、物足りない時期でした。
同じ部屋に泊まっている上司が、パチンコに出かけたある夜。
私はビールで酔っぱらった後、意味もなくテレビのスイッチをつけました。
プロ野球中継が放映されていました。
その中継は、ジャイアンツの吉村選手の復帰戦でした。
吉村選手は試合中に外野フライを取ろうとして、他の選手と激突。
大けがをして選手生命を失う危機、というか日常生活さえままならない状態になりました。
アメリカで大手術を行い、懸命のリハビリをして約3年ぶりに復帰したのです。
吉村選手が代打で登場して、私は涙涙でテレビを見ることが出来ません。
確か吉村選手は、セカンドゴロを打って一塁まで全力疾走したはずでした。
私は涙と鼻水で顔をグシャグシャにさせ、心の中で叫んでいました。
「吉村選手はあんなに頑張っている。
私はただ、スネてふてくされて酔っ払っているだけだ。
もう一度、ちゃんと自分のやりたい事をやろう」と。
ちょうどそのころ、栄養士と言う職業を知りました。
「栄養管理を通じて、人々の健康づくりをしたい」と思うようになり、専門学校に入学。
卒業後、横浜で10年、大阪府で10年、管理栄養士をやりました。
横浜で保健所に配属になって、念願の健康づくりに関われると思いました。
でも・・・。
保健所に勤めて知った事は、こんなことでした。
「豊かで自由な国での食に関する健康づくりは、個人の好き嫌いや習慣、ライフスタイルに左右されすぎる」と。
今思えば、当時の私は、自分の考えのみが正しいと思い込んでいたのでしょう。
そして、起業独立を考え始めます。
カウンセリングなどメンタル面を学びました。
スピリチュアルなサポートとして、フラワーエッセンスやレイキを学びました。
本当に時間とお金をかけて、いろんな学びを重ねてきました。
その学びが私の中でまとまるまでに、もうしばらく時間が必要でした。
そして。
縁あって、奈良「朱鯨亭」代表の別所先生から整体を学びました。
公務員生活を続けながら、整体を学んでいた頃。
平行して、集客について学びはじめました。
「今、集客の勉強をしておけば、開業した時に絶対役に立つはず」
当時お世話になっていたショップオーナーが、経営コンサルタントもやっていたんです。
彼は自由が丘や代官山に、エステサロンを複数経営していました。
『渋谷君、整体院を開業するなら集客や経営も勉強しないとね。
技術と経営は違うから、どちらも大事だよ』
そのころ、一緒に整体や古武術の練習をしていた知人がいました。
彼は当時整体院を開業して、数年たっていました。
それなりにお客様がついていたようですが、整体院を閉めて自宅で整体を行うようになりました。
知人と会って話していた時、彼がこうつぶやきました。
『来月からアルバイトをすることにした。
治療だけじゃ家族を養えないから』
彼はいつも私に言ってました。
『渋ちゃんが整体師になったら、目の前のお客さんに一生懸命施術するんだよ。
そうすれば口コミが発生して、お客さんが増えてくるから』
彼も目の前のお客様に一生懸命整体をしていたはずです。
なのに・・・。
整体とアルバイトでみるみる疲弊してゆく知人を見て、私は絶対彼の二の舞は踏まない、と強く決意しました。
私自身の生活はもちろん、結婚して妻もいるわけですから。
絶対に、整体院の収入だけで十分生活できるようになるんだ。
そのためには、技術を学ぶのはもちろん、集客を学ばないとどうしようもない、と。
整体師として開業して以来、集客を学んでいたおかげで売り上げは毎年、前年度を更新してゆきました。
「お客様がよりリラックスできるように、広い場所に移転しよう」と、整体院を移転しました。
その頃を前後して、整体師養成スクールを開校する流れになりました。
広い場所の方がスクールの授業もやりやすいので、ちょうど良かったです。
●療術・ヒーリング修行歴
・経絡治療
杉山鍼灸院代表の杉山勲先生と、
針灸整体センター代表の中尾鴻一先生から学ぶ
・整体
奈良の「整体の朱鯨亭」の別所先生と、
横浜東戸塚「整体 愉和」の清水先生に学ぶ。
・快療法(当時の30時間セミナー修了)や各種ボディワーク)
・古武術(関口流柔術や肥前春日流:現在は休止中)
・操体法(針灸整体センター代表の中尾鴻一先生から学ぶ)
・EFT(EFTジャパン認定セラピスト)
・臼井レイキ
・フラワーエッセンス
アラスカフラワーエッセンスを、創始者スティーヴ・ジョンソンから直接学ぶ。
(私、かつてはワンレンでした・・・!)
他にフィンドフォーンフラワーエッセンス、FES、スピリットインネイチャーなど。
●スクール入学希望者へのメッセージ
まず初めに。
この文章を読んでくださるご縁をいただき、心から感謝します。
私は幼い頃から、代替医療に興味がありました。
様々なヒーリングや療術を、片っ端から学んできました。
それは、親父が体調を崩した事と無関係ではないでしょう。
大学卒業後、管理栄養士として人々の健康づくりとしての食生活改善に取り組んできました。
その後完全無痛整体師になり、現在は整体を通して人々の健やかな心身づくりをサポートしています。
そして、私が学んだ整体技術とノウハウ、集客等の経営手法を伝え、日本中に無痛整体師を育てたい、と思うようになりました。
無痛整体師を育てることで、以下のビジョンが実現できると確信したからです。
「無痛整体師を育て、世界を好循環に乗せる」
無痛整体師を各地域に育てることで、より多くの人々の心身の不調が回復する。
心身の不調が回復すれば、その人の使命ミッションが実現しやすくなる。
天職に就き、使命を果たす人が増えれば、世界はより善く変容する。
私たちは生まれつき、誰でも使命を持っていると言われます。
使命は「生まれる前に本人が決めてきた、今回の人生で取り組むべきレッスン」と言われるものです。
私たちは心身に不調があると、やはり不調に対応する事にエネルギーを使ってしまいます。
とりあえず毎日を過ごすのに精一杯になり、本当にやりたい事にエネルギーを使いにくくなります。
多くの人々が整体を受けることで体調を回復させて、仕事もプライべートも充実した毎日を送って欲しい。
やはり、何事も健康第一じゃないですか。
アントニオ猪木さんもおっしゃるように「元気があれば何でもできる」ですよね。
多くの人々が健康になれば、本人の使命を実現する流れを生み出すことができる。
確かに、目先のお金は必要です。
毎日生活してゆかねばなりません。
でも。
聖書に「人はパンのみに生きるにあらず」という言葉があります。
飢えて毎日生きるか死ぬか、というステージを(とりあえずは)脱した現代の日本では「生きがい」が必要です。
いいえ。
とりあえずはそれなりに満たされた現代社会だからこそ、「生きがい」が必要ではないでしょうか。
生まれ変わりがあるとしても、今回の人生は一度きりです。
私は整体師になろうと決めた時「反省はするが後悔しない人生を送ろう」と決めました。
私は「整体師養成を通して世界を好循環に乗せる」という使命を果たしてゆきます。
できればですが、あなたもあなた自身の使命を追求なさることをオススメします。
こんな想いとともに、横浜整体師養成スクール渋塾を始めました。
おかげさまで、スクール修了生から喜びの声をいただいております。
『ブログ集客がこんなに重要だったと気が付きました』
『マンツーマンで毎回楽しく学ぶことができました』
『整体を丁寧に教えてもらえるのはもちろんですが、
心構えや身体作り、経営や集客まで教えてもらって
とても勉強になりました』
『人としても整体師としても成長できたと思います』
私が18年間管理栄養士をして、もっとも学んだのは栄養指導です。
カウンセリング技術や援助職としての心構えやありかたを深く学びました。
その結果、人々の課題や裏面で語っている本当の意図をつかむのは自信があります。
当スクールで、マンツーマンのレッスンをする時に大いに役立っています。
自信と経験、プライドを持って真剣にスクール入学生と向き合い、授業を行っています。
●横浜整体師養成スクール渋塾物語
ー私が整体師のスクールを始めた本当の理由
横浜整体師養成スクール渋塾のホームページやブログをご覧になり、入学を検討している人も多いと思います。
『整体師になりたいけど、ちゃんと生活できるように稼げるのか?』
『これまで人の身体に触れたことは全然ないけど、僕でも整体師になれるのか?』
『このスクールは内容はしっかりしてそうだけど、都内の大手スクールの方がいいんじゃないか?』
こんな不安をお持ちになるのは、ある意味当然ですよね。
長年サラリーマンとして働いてきたあなたは、開業をイメージできないのも、無理はありません。
私は20年間、地方公務員として働いてきました。
親父もお袋もいわゆるサラリーマンで、自営業ではありませんでした。
整体院経営のノウハウはもちろんありませんし、資金もありませんでした。
そんな、ないない尽くしの状況でも、公務員を辞めて開業することに不安はあまり無かったです。
その理由は、整体の技術を学ぶとともに、集客の勉強もしていたからです。
多くの人が整体院を開業されますが、廃業する方は少なくありません。
整体院を始めるだけなら、初期投資が少ないし自宅の一室でも営業できますからね。
極端に言えば、ベッド1つとタオル数枚、ベッドがおける部屋が1つあれば開業できます。
今やどんなに小さな街にも、たくさんの整骨院や鍼灸院があります。
そんな状況ですから、資金や経営ノウハウ等に乏しい、個人経営の整体院が営業を続けるのは簡単ではありません。
私が整体を学び始めた時も、こんなことを言われました。
「整体の技術がどんなにスゴくても、経営とは別だよ」
「長年公務員やってる渋谷さんが整体院をやるって?失敗するに決まっているよ」
妻の両親も、もちろん大反対。
ま、親の立場から言えば当然です。
「公務員辞める?辞めて整体院やる?そんなに世の中甘くない!」
私が公務員をしていた最後の10年は、大阪府の某小学校で管理栄養士をしていました。
小学校給食の給食管理や食育など、様々な取り組みを実施していました。
教育委員会と合同でプロジェクトを行うこともあり、それなりに充実した毎日でした。
同じ仕事を続けていれば、安定で確実な収入が約束されていました。
それでも、私は公務員を辞めました。
専業の整体師として働こうと、そう決めたんです。
私にとって整体師として働く事は、もはや既成事実になっていました。
心の中にフツフツ燃え盛る情熱を、止めることはできなかったのです。
そして。
お袋の急死を最終的なきっかけに、公務員を退職。
横浜に戻り、整体院を開業しました。
知人の1人は笑いながら『渋ちゃんは、公務員を二度捨てた男』と言いました。
『公務員を2つー横浜市と大阪府ー辞めるなんて聞いたことないぜ』
そう毒づく彼は、私のことを気にかけてくれて、よく食事に誘ってくれました。
『渋ちゃんなら大丈夫だよな?きっと繁盛する整体院になるよな?』
私はニコニコ笑いながら、あまり心配していませんでした。
ネット集客を深く学び、整体院のブログを集客用にカスタマイズ。
開業直後から問い合わせが入り、新規予約が入り始めていましたから。
整体院などのいわゆるサロン集客は、再現性も高いですからね。
新規客が入りはじめると同時に、リピートするお客様も増えてきました。
経営が安定して、整体院を移転。
整体院の引っ越しを終えて、施術室に一人でボーっと立っていました。
「公務員を20年やってきた男がここまで来たか。いや、もっとお客様に喜ばれるように頑張ろう」
ちょどその頃。
新規のお客様が施術を終えた後、私の目をじっと見つめこう切り出しました。
『先生、私、整体を学びたいんです』
「そうですか。整体を教えてくれる所はいっぱいありますよ」
『いえ、私は先生から整体を学びたいんです』
お客様はキリっとした真剣なまなざしで私を見つめ、こう続けるのでした。
『私は自分の施術力を高めようと、いろんな所に勉強に行きました。
訪問の仕事をしているので、短時間で成果を出さなければならないんです。
でも、みんな私には今一つで・・・。
今日、先生の施術を実際に受けて、先生のタッチとソフトで効果が高い施術にビックリしました。
先生の技術を、先生から学びたいんです。
よろしくお願いします』
お客様は深々と頭を下げ、頭を上げようとしません。
「とにかく頭を上げて下さい。
私みたいな若輩者が整体を教えるなんて、ちょっと難しいんじゃないかって」
『私もプロですから、目の前の人の実力はよくわかるんです。お願いします』
「う~ん・・・わかりました。とりあえずやってみましょう。
本格的に学ぶかどうかは、それから決めてもらえますか」
『先生ありがとうございます、良かった~』
その後、約1年間。
お客様は結局、基本的な整体だけでなく、上級編まですべて学ばれました。
『先生、ありがとうございます。
わかりやすい説明でよかったです。
今後もよろしくお願いします』
私自身、とりあえず伝えたいことは伝えたかな、と感じました。
すると。
プロの整体師数名から「整体を教えてほしい」「ブログの作り方を教えてほしい」と問い合わせが続きました。
中には、以前整体を教えた先生から紹介された、とおっしゃる先生も。
整体を行いつつ、希望者に自分が学び、創意工夫を重ねた施術やブログ集客を教える生活が始まりました。
そんな時。
都内にお住まいのお客様が、久し振りにお見えになりました。
ひどい肩こりでお困りでしたが、施術を繰り返して症状はほぼ良くなりました。
遠方のためか、体調がよほど悪くなってからでないとお見えになりません。
整体をしていると、そのお客様がこうおっしゃいました。
『先生、先生は整体師を育てることはやっていないんですか?』
「うん、正式にはやっていないけど、最近はチラホラ・・・」
『え~そんな、もったいない!
ぜひ正式に整体師を育ててくださいよ~。
正直、先生の施術をもっと受けたいんですけど、さすがに遠いんです。
私の地元に、先生が教えた整体師さんがいるといいのになあ・・・』
『あ、そうだ、私の地元だけじゃなく、各都道府県に最低1人は養成してください。
そうすれば、私だけでなくみんなが助かりますよ。
お願いしま~す!』
その時。
昔お世話になった先生から言われた言葉が、フッと浮かびました。
それはまるで、天から降ってきたかのように、心に響いたのです。
『渋ちゃんのように才能のある人は、その才能を出し惜しみしないで多くの人に役立てると良いよ』
私が整体師を育てる・・・。
確かに、私の意図とは別に、教えて欲しい人が集まってきている。
私が整体師を育てる流れに、乗っているんだろうか。
それが、私の人生でやるべきことなのか・・・。
ある日。
妻とテレビを見ていた時、妻がこう切り出しました。
『あ、そうそう。整体師養成スクールはいつ正式に開校するの?』
「え?どういうこと?」
『やるんでしょ、というかやった方がいいと感じるんだけどね。
あなたが整体の授業について話している時の顔、とっても輝いているわ。
あなたは普段から説明もわかりやすくて上手だし、個別の対応もうまいと思う。
整体師を育てる事は、あなたのミッションだと思うわ』
長年大学病院で薬剤師をして、新人育成担当をしていた妻が、ニヤニヤしながら言うのです。
ミッション・・・そうか・・・。
妻の言葉を聞いて初めて、私の中で整体師を育てることとミッションが結びついたのです。
ようし・・・。
妻に背中をポンと押され、正式に整体師養成スクールを始めることにしました。
それから、私がこれまで培った整体技術や集客、経営面の知識を総復習しました。
整体や集客、経営面の学びは現在も続けています。
膨大な資料に再度目を通し、使えるものと使えないものを選別します。
ブログ集客を教えるために、コンサルタントに相談したり。
様々な準備を得て、ようやくスクールを正式に始めることになりました。
スクールのウリは、マンツーマンの授業とブログ集客にしよう。
整体のような技術職は、個別対応で手渡しで教える方が理解がしやすい。
「わかったつもり」ではなく、生徒さんの骨身に染み込むような個別対応の授業にしよう。
プロの整体師になってもらうなら、毎月の収入を十分稼げるようになってもらわないと。
だから、スクールの内容に集客を組み込もう。
現代の集客は、ネット集客は外せない。
低価格で集客用にカスタマイズしやすい、ブログ集客をお教えしよう。
そんな思いとともに、スクールのカリキュラムとテキストを構築しました。
おかげさまで、身体に触れたこともない一般の人が、スクールに入学されました。
細々と、しかし確実にプロの整体師を養成し始めました。
スクールの初めての修了式の日。
修了生に修了証書を渡しながら、ジワっと涙が浮かんできました。
私が感動しても仕方ないんですが、こんな感動は初めてでした。
「この初心を忘れず、生徒さんにしっかり向き合っていこう」
改めて心に深く刻んだ次第です。
現役整体師の私が、完全素人の方でも数か月後には自信を持って施術できる整体師になれるよう、責任を持って育てます。
知識や経験の異なる生徒に対し、完全マンツーマンでの授業で疑問や不明な点をその場で解決。
再現性の高いブログ集客を学び、毎月整体収入だけで十分家族を養うことができます。
・マイペースで自分が納得できる仕事をしたいあなた。
・SOHOで仕事をしたいあなた。
・体調不良の人々を助けたい、サポートしたい気持ちを実現させたいあなた。
・すでに開業しているけど、ソフトで効果的な整体技術やブログ集客を学びたいあなた。
横浜整体師養成スクール渋塾で、あなたの一生もあなた好みに整えてみませんか?
あなたの輝く笑顔のため、あなたがよりポジティヴな生き方を送れるように。
精一杯サポートさせていただきます。
長文におつき合いいただき、本当にありがとうございました。